母校愛の芽生え

寝坊。一時間目に起きれず2つ目から出席。休み時間に「この国のかたち5」を読んでいたら、『会津』というタイトルの話でこんなくだりが。以下本文より抜粋。


『 明治後も会津人や会津地方は割を食うことが多かった。会津若松が県下最大のまちでありながら、福島県庁が置かれることはなく、また偶然かどうか国公立の高等教育機関も設けられなかった。
 去年(1993年)、県立のユニークな単科大学が開学した。明治後、会津若松市に置かれた最初の高等教育機関である。
 この大学は、校舎の設計も内容も斬新で、明治後、たわめられていたバネが、一気に単科大学という形になって撥ねもどったような勢いが感ぜられる。たとえば、研究者がひろく世界から公募され、百人の教授以下のうち、六十人が外国人で、学内の公用語が日本語と英語だと言うことだけでも、一端を察することができる。
「この日を、会津は百二十年、待っていたんです」
とたまたま会津を訪れた私を案内しながら旧知の宮崎十三八氏がいった。会津人としては大げさな感想ではなさそうなのである。』
(この国のかたち5 司馬遼太郎著)


この単科大学というのが俺の母校。俺が入った頃にはバネも伸びきっていたし、俺の学生生活も緩みきっていたわけですが、氏にこういう風に書いてもらえると今まで感じたことのなかった母校愛を感じますな。なんでこれを誰も紹介してくれなかったんですか?→大学関係者。会津の人達の期待を裏切りまくったことを今更ながら後悔。


夜は格闘技の練習。パット、ジャック、俺の3人だけ。主にレスリングのテクニックを習う。パットに歴史の長いスポーツだけに奥が深いですな。帰って勉強して寝る。